先日、友人と話していて、
「きれいにすることは、むしろ、世界へのサービスだと思うようになった、
結局のところ、美は利他だよね」という話になりました。
わたしは自営業なので、自分が広告で自分が商品です。
ケーキ屋さんがきれいにケーキを並べて
写真を撮り、
ラッピングして
お客さんにお届けしているのと同じで
きれいにしていることは、
自分のためだけでなく、
まわりの人たちへのサービスでもあると思っています。
女性がきれいでご機嫌でいることは、
世界への感謝や敬意のあらわれであるし、
ちいさな贈りものだと思います。
そして自営業にかぎらず
わたしたちひとりひとりは、
自分が商品の自分屋さんで、
猫たちのように、
ほんとうは、わたしたちも
生きているだけで、周囲へのギフトなんだと思います。
わたしたちは
自分を大切にする、
自分を愛するということを考えるとき、
それは自己中なんではないか、
わがままなんではないか
ナルシストなんではないかという、
問いや自己批判につかまることがあります。
でも、
ナルシシシズムや自己中は、自己愛の過剰になった形ではありません。
ナルシシズムや自己中は、
自尊心や自己愛がボロボロになったときに起こる症状です。
自分を大切にする方法を見失ったので
自分を自分で満たすことができなくなり、
自分をカタに、
外側の世界から
愛や承認やエネルギーを狩らなければならなくなった状態が
ナルシシズムや自己中の状態です。
自己愛からもっとも遠いもののひとつだと思います。
過酷な条件付きの愛のなかに置かれていた場合に起こりやすいです。
一見溺愛に見えるけれど、
母(または母親に相当する役の人)に、
特定の結果を出すことを求め続けられ、
それに応えてきた(応えられてしまった)人たちに起こることが多いです。
自分ではない誰かの期待に応えることを追い続けた結果、
自分の自然な望みや心に従うことができなくなってしまったときに
対症療法として起こるのがナルシシズムや自己中です。
どれだけ「いいね」と思われたいかは、
どれだけ自分をいいねと思えていないかとまったく同じ大きさです。
「どれだけ自分大好きなの」「どれだけ承認欲求強いの」なんて、
陰口を叩かれがちな
ナルシストに見える人たちは、
自分が大好きで、自慢やマウントを楽しんでいるのではないように見えます。
もしかしたら、
自分を自分で大切にする方法を見失い、乾きに苦しんでいるかもしれません。
批判の対象にしてしまっては、さらに行き場を失ってしまい、なんだか切ないな…という気がしています。
自分を大切にすることにやりすぎということはないと思っています。
他人から奪うことにもなりません。
女性がきれいでいることは、
まわりを元気にハッピーに、そして自由にもするし、
自分を大切にきれいにすることは、
世界から借りているこのいとおしい体に対する、礼儀でもあるよね、と思っています。
今日もこちらのブログをお読みいただきありがとうございます^^
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